熊本市長選挙を明治維新期の選挙から考える

 

久しぶりの投稿となりました。

6年社会科の村上春樹です。

 

今回は,夏の実践研修会で提案した明治維新の頃の授業を実際に行ってみましたのでご紹介させていただきたいと思います。

 

まず,子どもたちには熊本市の市長選挙が11月13日(日)にあることを提示しました。多くの子どもたちが知っていました。子どもたちの選挙への関心が高く,これまで主権者教育を進めてきた成果が出ているなと感じているところです。

その上で,前回の熊本市長選挙(2018年)では投票率が31%だったことを提示しました。すると子どもたちは,

「低っ!」

「関心ないのかな…?」

とつぶやいていました。こうきくんは,

「前から高齢者ほど投票率が高くなっていて,今熊本も高齢化しているのに,こんなに低かったら,これからもっと低くなってしまう…」

と心配していることを発表し,みんなも納得していました。

そこで,これから学習する明治維新期に選挙が始まったことを伝え,以下の資料を提示しました(wikipediaより)。


しばらく読み取る時間を与え,様々な気付きを出す時間を設定しました。

すると,投票率の高さや,有権者の増減に目を向ける子どもが多くいました。

私からは,「比較第一党」について説明し,今の政治を例に挙げ,増減する理由等についても説明しました。

そこから,「明治期の政治について学び,投票率を上げるためのキャッチコピーを考えよう」という主題を設定しました。

 

その後,有権者の増減や比較第一党の変化等について,日清,日露戦争と関連付けながら学んでいく姿が見られました。子どもたちの関心は,なぜ日清,日露戦争があっているときも比較第一党に票が集まっていることから,「当時の国民が投票する際に大切にしていたことって何なんだろう?」ということでした。

その中で,最後まで残った問いが,

「日露戦争の影響で増税されたし,日露戦争で賠償金を得られずに国民は怒っていたと書いてあるにも関わらず,1908年の選挙で比較第一党の議席数が増えているのが分からない」

というものでした。いろいろなグループが考えていたのですが,あやみさんが教科書や資料集を基に,次のような仮説を立てました。

1910年に韓国併合が行われている。それは,植民地支配が行われていた欧米のまねをするためである。なぜなら,江戸時代に結ばれた不平等条約の解消には欧米化が急務だったからである。実際に1911年には関税自主権を回復している。そこから,1908年の選挙時には,この韓国併合から不平等条約改正までをマニフェストとして立憲政友会は掲げていたのではないか。だから,当時の国民は,増税等を我慢し,投票したのではないか。

というのです。真剣に聞いていた子どもたちは,

「おぉ~」

「それならわかる。」

「今の人たちとあんまり(投票するときの)判断基準が変わらない気がする」

と教科書や資料集を見ながらグループで確認していました。

とても説得力のあるストーリーです。真実かどうかはわかりませんが,様々な出来事を関連付けています。子どもたちもみんな納得でした。そこで,私は子どもたちに問いました。

「今の大人たちは増税を我慢し,未来のために投票することができているだろうか?」

ということです。

「できてない気がする…」

と子どもたちは答えました。すると子どもたちは私にも問うてきました。

「先生は何を大切にして投票しているんですか?」。

私は正直に

「今回の市長選に関してもマニフェストが似ている部分があるので,なかなか難しい。今と昔とでは政治家にも違いがあるのかもしれない。」と。

そして,子どもたちは

「僕たちにも選挙権が欲しいです!」

と言いました。

「だって31%(前回の市長選の投票率)でしょ?投票してない人の分が欲しいです。」

 

まだキャッチコピーはできていませんが,歴史に学びながら選挙への関心を高めていっています。

 

日曜日の熊本市長選挙。大人はどんな行動をして,どんな判断をするのでしょうか。



読んでいただきありがとうございました。

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hmurakami@educ.kumamoto-u.ac.jp

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